今日は、私のことを書きますね。
高校生の時に「こうのさんって、影があるね」と言われたことがあります。
「あら、そう?」
なんて、さらっと流したけれど、内心はショックでした。
だって、ネガティブ感が強い言葉じゃないですか!
高校2年生、1989年(平成元年)のこと
時代は、バブル期。
「明るく、元気に、朗らかに!!」
そんな人が、もてはやされていました。
バンドブームで、文化祭なんかでは「軽音楽」をやっている子が人気者だったな~。
それに比べて、私は真面目で大人しくて、自分の意見をあまり言わない存在。
きっと、「何を考えているのか?よくわからない人」として、見られていたのでしょう…。
育った環境が影響?
私のこんな人格が形成されていったのは、きっと育った環境が影響していると思っています。
幼い頃から、よく親に叱られていました。
「あなたはお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」
「ちゃんとしなさい」
「あんたは、気が利かない」
「しっかりしなさい」
いっつも、否定的な言葉を浴びてきました。
それだけでなく、小学3年生の時に両親が離婚して、翌年新しい父と暮らし始めたのです。
それからは、「連れ子なんだから遠慮しなさい」という、母の圧を受けてきました。
その上、新しい父は気性の激しい人で、よく大声を上げる人でした。
母は、よく泣いていました。
家の中は張り詰めた空気が流れていて、私も弟も無邪気さを封印されてきました。
繊細で気が弱かったから、余計に…
私、自分の感情をあまり表に出せない性格でした。
そのため、一人で静かに本を読んだり、手芸をするのが大好きでした。
感受性が豊かでしたから、本を読んでは登場人物に感情移入して、よく泣いていましたよ。
音楽も好きで、好んで聴いていたのは、専ら「短調」の曲。
エリーゼのために、太陽がいっぱい、ひまわり、いそしぎ、禁じられた遊び、ベートーヴェンの月光、ショパンのノクターン etc.
そんな「短調」好きは、今でも続いています。
繊細で内気で気弱な性格でしたから、波風を立てるのが怖くて…。
いつの間にか、本音と建前を使い分け、しかも忖度するようになりました。
周りの人の顔色を窺って、無難な発言ばかり…。
だから、『影のある人』という印象を与えていたのでしょう。
もしかしたら、今でも『影』があるのかもしれませんね。
本音を抑えすぎて、自分がわからない
ここまで書いてきて、私、自分の感情を書いていないですよね。
幼い頃から、自分の感情を表現してこなかったので、自分の本音がわからないのです。
特に、こうして子供の頃を回想すると、出来事だけを連ねてしまい、感情が湧いてきません。
今でも蓋をしているようです。
でもね、一人で自分と向き合うと、思わず涙がこぼれてきます。
また、カウンセリングなどの安心して話せる場所だと、淡々と語りはするけれど、質問されて心が過去に飛ぶと、抑えていた感情が溢れてきます。
涙が止まらなくなりますよ。
それだけ、私は心の奥に溜め込んだ、負の感情が多いのでしょうね。
カラーセラピストとして、今
育った環境と元々の性格から、私は相手の『言葉の奥に隠れた本音』を想像するようになりました。
- 言葉通りに受け止めていいのか?
- それとも、秘めた想いがあるのか?
セラピストとしては、大切な能力です。
言葉通りに受け止めることも大切ですし、時には『秘めた想い』を汲み取りながら会話を深めていくことも必要ですから。
ただ、自分自身を否定する癖がまだあるので、自分を癒やしていくのも課題です。
でもね、身に付いた特性も、上手に活用すれば強みにもなるのかな。
今は、そんな風に思っていますよ。
繊細さは武器になる!
ここで、思いを短歌に込めました。
環境と過敏な性格相まって
深読み気質も強みにするよ
私は、繊細さ、気弱さ、共感力、観察力、洞察力…。
これらの性質を、今まではネガティブに捉えていました。
でも、カラーセラピストとして活動する中では、強みにできます。
自分を癒やしながら、クライアントさんに寄り添えたらいいな~と思っていますよ。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございます( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎
お粗末さまでした。
私は、自分を見失うことが多々あります。 それは、ビビリですぐに緊張する性格だから。 そのため、不安になりやすいです。 だから、「こんな私が、セラピストをやっていてもよいのだろうか?」と、苦しくなってしまうことがあります。 こんなことを書くと、引かれてしまうかしら…。 ...